(still under construction)

「ちんまん~中村珍マンガ集 コメディ短編だけ~」(日本文芸社)

『中村珍マンガ集 ちんまん -コメディだけ』(日本文芸社)カバー

『正直者と萌えの湖』シリーズの反省点

 
好みの女性について語ることで生じる、
女の“品定め”への肯定的な空気。
 
前出の『超みだれ』シリーズとは異なり、コミックヘヴン の連載作だった『正直者と萌えの湖』についてはシンプルです。まずそもそも、好みの女性について語ることが「女は品定めしてOK!という空気の肯定になり得る」ものですから。
いくら「私に限った恋愛の好みの女性の話です」というエクスキューズがあったとしても、取扱注意であることに変わりはありません。“品定め”というのは、主格が「私」でも成立しますし、結局そういう品定めの集合体が、「こういう女がいい女」みたいな虚像を作り上げてしまうので。
(とは言え正直、「私はこういう人を選ぶ」という主張を、わざわざ逆にして「つまりこういう人は排除するというのですね?」という論法で来られるとゲンナリしますが。「トラさんが好き!」は「パンダ絶滅せよ」ではなく「トラさんが好き!」でしかないし、「パンダ絶滅せよ」は「トラさんが好き」と両立される“可能性がある”だけで、べつにイコールではないですから。)

本作の懸念事項には当時から自覚的でした。「分かっててやった」と言ってもまったく差し支えありません。
既に独立した記事がありますが、この連載があった6年前、レズビアンという立場から描かれたエッセイは今ほどは多くありませんでした。時代と比例して出版された経験を持つタイトルは世界中で増えていきますから当然です。この2〜3年を輝いて駆け抜けたLGBT本のラインナップからは想像できないほど、「なくはないけど、そんなにない」という状態でした。
今でもキャラクターがセクシャルマイノリティである必然性を問われることはよくありますが、今より遥かに「これ、男女でやらない意味ある?」「読者はフツウ(=異性愛者)だから、レズのまま描いても共感されないよ?」を言われまくる時代でした。
そんな中、本作は、唐突に「レズビアンのまま女性の好みを大っぴらに語る仕事」として私の元に舞い込みました。
 

同性愛者として絶対に逃したくなかった仕事
 
これは、やっておく必要があると思いました。
百合漫画雑誌じゃない、一般誌に、何の説明もなく、私がレズビアンである説明すらなく、女性が女性の好みを語っている、女性が女性に対する性愛を語っている漫画が載る。とても自然に、女性を好きな女性でいていい枠がもらえた。「女性に性欲なんてあるの?」というジェンダー観がいまだに根強い社会で、女性の私が、たとえば女性の胸について話す。それ自体はよくない。よくないけど、異性愛者が当たり前に人前で語ってきたことを(語って良いかはともかく)“やっていい時代”が私はどうしても欲しかった。
おまけに、この連載は、「レズビアンの作家が語る!」とか「女性×女性、異色のエッセイ!」みたいな、私にしょっちゅう(あれから6年たった今でも、)つけられる煽りが、売り方が、この連載とこの編集部では一切なかったのも、痺れました。ものすごいマトモな時代が局地的に来たと思いました。
「中村さんは女性が好き、女性が好きな作家さんが性愛に関するエッセイを描けば相手は当然女性。ふつうでしょ?説明要る?」という、あまりにも私が同性愛者であることに(仕事で性愛について描くのに)ノーリアクションだった編集部や出版社は、後にも先にも、日本文芸社の週刊漫画ゴラク編集部(コミックヘヴンは増刊だったので編集者は共通でした)だけです。

当時の感想は、当時私が書いたコラムを読んで頂ければと思いますが、とにかく私にとって、どうしてもやりたい仕事でした。
参考 同性愛者である私から見たコミックヘヴン「正直者と萌えの湖」の掲載誌についての所見

また、ただ同性愛者であるというだけで、言われ続ける言葉にもうんざりしていました。「同性愛者は性に奔放なんでしょ?」という極端なものもよく言われますが、真逆に振り切った、「プラトニックな人たちなんでしょ?清潔でいいと思う」「女同士で性的なことをするなら、子孫繁栄のためじゃなくて快楽のためだから気持ち悪いけど」という言説を押し付けられることも存外に多いのです。
一体なぜ「プラトニックなら良い」「快楽で関係していたら気持ち悪い」などと裁かれなければならないのでしょうか。異性愛者は常に繁殖のためだけに行為に及んでいるのですか?…そう尋ねると返ってくるのは「レズってどういうふうにやるの?アブノーマルな趣味に偏見ないから大丈夫だよ!」と気遣いをしているのかしていないのか全然分からないことを言われたりします。
「女同士でプラトニックなのに付き合う意味あるの?友達のままでいれば誰にも迷惑かからないんじゃないの?」などと諭される機会も、然程珍しくありませんでした。

プライベートを教えてあげる筋合いは一切ないですが、うんざりする質問が減るなら、手段としてアリだ、とは思います。
「ほらよ、そこらへんの雑談みたいなことしか言ってねぇだろ。見ろよ。個人的なフェチはあっても、セクシャリティ由来のアブノーマルなんてどこにも描いてねぇだろ?」という気持ちで描いていたものです。

まだ、今でさえ上述したような言説に晒される機会があります。当時と比べて私は遥かに減りましたが、それでもまだあります。そうした中で、護身用ならぬ護心用に、まだ、このエッセイの存在は私にとって必要な場面があります。
この理由でこの連載で行った品定めを全肯定することは私本人でさえできませんが、執筆理由は以上です。
 

暴言が残っています
 
電子書籍として再編集する際の(私の)チェック漏れで、反省していたから撤回したかった箇所がそのまま掲載されてしまいました。
本作冒頭の自己紹介で、私は座右の銘を「三日ブス」と書いています。

「美人は三日で飽きるのに顔で選ぶなんて人間的に成熟していない証拠」と諭され続けて、一時期は「私はブスのほうが飽きるので」と言って憚らない時期までありました。暴言だったと今は思います。(ただ、「美人は三日で飽きるのに」についてですが、これはかつて「巨乳のアナウンサーに朝からニュースを読ませるのはハレンチだ」という苦情型のセクハラにも見られた、「外見がこういう女は知能が劣っている」という差別的偏見ですから、「美人は三日で飽きるのに」については引き続き猛反発したいと思います。以前はそれに反発する余り、軽い気持ちで暴言を発してしまいました。)
メルセデス・ベンツ コネクション×POLA TALKER’S TABLE:人と人が「一緒に生きる」ということイベントレポート「仕事で男尊女卑にならなければならない」のトピックスより

イベントレポートとして独立した記事で詳細に語っていますが、手短にお伝えすると、上記のような感情でした。
参考 メルセデス・ベンツ コネクション×POLA TALKER’S TABLE:人と人が「一緒に生きる」ということ出演イベントのレポート
 
私が「美人は三日で飽きる」という言葉を不快に感じるのは、言外に「美人には中身がないから結局つまらなくなってしまうはずだ」という偏見や差別が、“美人”と呼ばれる人の内面的存在意義を地に落とす意思を向けてくるからです。
私は「面食い」を公言して憚らないですから(この理由についても上記記事で触れています)「私にとって好みの外見である」ということは間違いないのですが、更に、妻や彼女たちは押し並べて多くの人から「美人」と頻繁に評されます。
だから、「美人なのに学力もあるんだね」「美人だけど性格いいね」「美人だから痴漢をされたのは美人税だと思って諦めなよ」「美人だからむしろストーカーの気持ちが分かる。夜道で追われてもしょうがない」「美人だから誠実な恋愛はしないんでしょ?」「美人を鼻にかけて恋人を大事にしないんでしょ?」「美人だからいい結婚はできない」「親が美人すぎるとなぜかブサイクな子供が生まれるっていうから子供作らないほうがいいよ」「美人だから顔で選ばれて幸せになれないよ」「美人だから腹黒いに決まってる」「美人は面白みがない」「美人は三日で飽きるっていうよね」と、言いたい放題言われて、不躾に呪われてきました。この、言いたい放題言われたことさえ「美人で得してるんだからいいじゃん」で片付けられるのは日常茶飯事です。
ですから、「美人は三日で飽きる」をはじめとする言説とは断固対立を続けますし、この感情自体は撤回しませんが、だからと言って、意地悪に「三日ブス」なんて言い返す正当性も必要も意義も何もなかったと思います。
この言葉の選び方で反発したことは、暴言だったと思っているので、大変反省しています。
折を見て、差し替えの申請に必要な手続きを始めようと思っています。
 

2018年初夏
電子再編版刊行にあたり

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