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「刺青龍門」試し読み(初期マンガ集収録短編)

『中村珍初期マンガ集 ちんまん(※シリアスなのだけ)』カバー(装丁:諏訪菓)

(私の理解できる言語での資料が見つけきれなかった部分はテキトーに描かざるをえないので、私の描いたガネーシャ神が必ずしも宗教的に正しい設定とは言い切れないものの…)とにかく宗教的なものだからある程度、ポーズや持ち物、特徴が決まってるわけです。

龍もそうで、多くの和彫り(ヤクザ映画で見かけるやつですね)に登場する龍は一般に(のちのち日本でローカライズされたものも含めて大概)ルーツが中国の龍なんですが、想像上の動物とは言え「生き物」みたいなくくりなので、特徴というのはあるんですね。ダックスフントは足が短くて胴が長い、とか、鶏のオスにはトサカがある、みたいに。
鱗の数や爪の数までいろいろ、決まりごとや文化史、民俗史、考察の仕方があります。登竜門(ザックリ言うと鯉が滝登りをして龍になったという話)も中国の故事ですし、そこから派生した鯉のぼりでさえ、比較的最近とは言え、江戸時代だったか幕末だったかの話です。
「鳥居」って言われたらあの形を描くしかないし、「お寺」って言われたらあんな感じだし、「寝殿造り」って言われたら寝殿造りのルールで描くし、大仏の絵を描くなら大仏の特徴を、お地蔵さんを描くなら多くの場合は地蔵菩薩の特徴をもった石像を描くしか、もう、そのルールから外れたら「伝統的なソレ」ではなく「独特な何らかの創作物」または「伝統を微塵も調べず適当に描いた雑な原稿」みたいなものになってしまうわけです。

彫り物に関して言えば、人気がある絵(みなさんがなんとなく想像する和彫りの絵)には、だいたい元の絵があって、それは、「どこどこの彫り師さんの龍と似てる」みたいな近代的知的財産レベルの話じゃなくて、「700年前に中国で流行った絵師さんの龍を真似しました…」とか「安土桃山時代のトレンドがパクリ元です…」みたいな話になります。龍に限らず、鳥とかも「伊藤若冲のトレース」とか、「200年くらい前の歌川国芳っていう神絵師の影響カナリ受けてます…」とか。そういう成り立ちの彫り物が世の中にはたくさんあります。
なんのルールも守らず、何も参考にせず、80%以上彫り師さんのオリジナルというので『伝統的な和彫りの龍』とか『ヤクザ映画で見たような不動明王』みたいなのは、ありえないような仕組みの上に彫り物文化は成立しているので、編集部さんにいくら「この刺青も見た事ある気がする」と言われても「そうですね、これは250年位前から結構関東で流行ったと思われますね。そこに750年前の中国の一部地域の上流階級に重宝された造形を取り入れました。それ以外の部分は龍の特徴に則って描いてます。この雲は江戸時代っぽい感じを意識しましたが、波はちょっと近代的です。ただ、そこは画力不足でうまく描けなくてオリジナルにしちゃった感じです。著作権的には問題もありませんが、どこかで見た事がある、というイメージは仰る通りだと思います。画力不足で適当に描いた波も含めてどこかで見た事あると言われたなら光栄です。」という気持ちです。
(もちろん和彫りだけじゃなくて、tattooと呼ばれる洋彫りにも人気のお作法や、仕上げ方の潮流、メジャーなモチーフや伝統がちゃんとあります。)

ただ、これほど説明のつくことであっても、結局上の偉い人が「本当に大丈夫なの?」「やっぱり怪しいんじゃないの?」と思って信じてくれなければそれまでですから、私の場合は「それまで」でした。嘘でもいいから「完全にオリジナルです!」と力強く言い切ればもしかすると助かる道もあったかもしれないですが、「参考にしたものはあります」という情報だけが深く残ってしまったのかもしれません。もう15年近く前の話ですし、最終的に陽の目を見る事はできたのでいいんですが、当時デビューすらしていない新人だった私には、対処・対立・対峙しきれない、乗り越えられない盗作疑惑でした。

今となっては「梵字を自分で考えたか」っていう質問とか、思い返して笑っちゃったりすることもあるんですけどね(笑)創造神ブラフマーが作ったとか作らないとかっていう古代インドの文字から派生したサンスクリット語の文字を日本で生まれ育った19歳の私が考案したわけないだろ!
世の中には梵字で健康とか、梵字で恋愛運みたいな本もあったりして、ああ私も「梵字で金運アップ!」みたいなことを言えるくらい、したたかであるべきだったのでは?とか思ったり…、いや、思わないですけど。「梵字でガン撃退」みたいな本まである世界で、一体なぜ私は「梵字は字です!」という平凡な主張を叫べなかったのだろう…。

…と、梵字が思ったより面白おかしい本になっていて(宗教色の強いところから発展した字なので、そういう使われ方をするのはしょうがないんでしょうけど…)一瞬脱線してしまいましたが、話を戻して…。

私もなんだかんだ、不本意ながらも出版系のトラブルを経験することになってしまったほうの漫画家なので、この類の相談は時々受けますし、特に多いのは「編集部がどうにもしてくれないのだが表沙汰にすべきか」「水面下でこんな条件を飲まされそうになっているのだがどう思うか」「担当編集者の横暴がひどいけれど編集部は担当者を替えてくれない。自分で炎上させて問題化させた場合、漫画は助かるのか」みたいな相談です。
中には「中村さんみたいに気が強い作家は編集部と対立しても誰かを傷つけても全然気にしないと思いますが、自分はつい周りの目を気にして気を遣ってしまうので、思い切って担当さんに反論することができません」(ほぼ原文ママ)という相談まで寄せられます。その気を遣ってしまうという性格の本領を発揮して、ちょっとは私にも気を遣ってくれ(笑)

表沙汰か密室か、という問題については、正直「ケースバイケースと運」という、…求められていない答えが正解かなとは思いますが…。
密室・水面下も、表沙汰・炎上も、一長一短で、密室での出来事では自分がそのトラブルの渦中にどう在ったかは限られた関係者にしか知られないので、セルフブランディングというか、「扱いやすい作家」という体裁を保ちたいならば、そのイメージ像を守ることができますし、キャリアに傷はつきません。(ついていても傷が外から分かりません。)品行方正、何も問題がない作家に見えるでしょう。水面下での解決を目指して交渉や意見交換を続けたものの四面楚歌で、もうどうしようもなくなって公表に踏み切る、というタイプの表沙汰は、仮に本人がどれほど長期的に我慢を重ねていたとしても、やっぱり、「外で誰かに対して強い主張した」というのはネガティブなイメージがつきますし、「扱いにくい作家だ」と思われるデメリットがあります。あと、どれほど他のことを黙って生きているとしても、誠実に黙っていたことを知っている人というのは基本的にいません。きちんと黙っていれば黙っているほど、誰もその人がきちんとなにかを黙っていることには気づきません。だから、1つ大きな問題を表沙汰にしてしまうと、やむにやまれない状態だったとしても、その1つだけで「あいつは外でなんでも喋ってしまう、コンプライアンスに難のあるやつだ」ということになりがちです。
また、(きちんと意見を聞いてくれた上で、結論として意見の異なる人だけでなく、)もともと自分に対して好意的ではない人、本気で焚きつけたい人、トラブルウォッチが好きな人、理解できる単語だけ繋げて独自解釈した誤情報を拡散しまくる人、全然関係ないその人のプライベートなことでなんかむしゃくしゃしてる人、万能感と正義感に燃える人など、いろんな人の目につくので、煩わしいことも増えます。知らない人に叱られ続けたり。
時間をかけてよくよく考えたけどお前の意見には納得いかん!と、きちんと耳を傾けるという誠意を遣ってくれた上で、意見が対立するということもありますから、反対意見の人がいたとしても、それはそういうものだ、と思いますし、誤解があれば相手の誠意と理性を信じて言葉を尽くしてみるのもいいかもしれませんが、すべての人に必ずしも落ち着いて話を聞いてもらえるわけではないですから、そういうことのひとつひとつに傷つき深いストレスを負い、そういうストレスの処理が難しい人は、向いていないかも…と思います。ただ、クリーンなパブリックイメージを失うのと引き換えに、多くの人の目に留まりますから、助けてくれる人や賛同してくれる人との出会いもあると思います。密室に閉じこもって説き伏せられている時とは違う心強さが増す、というメリットは得やすいですから、どちらのほうが遥かに良い、ということは申し上げられません。

ただなんにしろ、水面下っていうのは、本当に水面下にあります。

ほとんどの人からまったく見えないところにありますし、部外者の想像が及ばないような突飛な理屈で、編集部に守ってもらえないとか、八方塞がりになるとか、連載が潰れたとか、(不況や不人気以外の理由で)出版が立ち消えたとか、そういうことが、まるで起きていないかのように、起きては、こっそりと消えていきます。
たかだか10年15年みたいなキャリアの浅い私の周囲でもたまに見聞きしますし、後述しますが、私自身にも一般に知られることなく葬られた困り事がありました。
穏便に水面下で片付いたり、水面下で強引に潰されたりしているから表沙汰にはならないだけで、「表沙汰になったら大騒ぎ」みたいなことは、やっぱり時々あります。